エンデの遺言 ―根源からお金を問うこと (講談社+α文庫)」河邑厚徳、グループ現代(著)より

シュヴァーネンキルヘンはドイツの東南部、バイエルンの森にある石炭鉱山の町で人口は500人たらずでした。しかし大恐慌の影響は、この小さな町が依存していた石炭鉱山を閉山に追い込んでいました。

1929年以来、どの鉱山会杜も操業は停止状態にあったのです。鉱山で働く労働者は失業状態におかれていましたし、彼らを相手の町の商店も売り上げが期待できない状況でした。

この町にも、ドイツやスイスに広がった自由経済運動の考えが波及していました。ゲゼル理論を実践してみようというグループがいたのです。彼らはニーキッシュなどから知識を得ていました。

そのなかに小鉱山の所有者、ヘベッカーがいました。1931年に、恐慌でつぶれた鉱山を4万ライヒスマルクで借り入れた彼は、これを担保にして自由貨幣の発行を企てます。

ゲゼル理論の支持者らは、発行団体を組織し、実際はその鉱山の石炭を担保にした自由貨幣を発行します。この貨幣は「ヴェーラ」と呼ばれました。

炭坑の経営者は、労働者たちに、「竪坑をつくりたいが、お金はまったくない。でもヴェーラがある」 と説明し、彼らはそれを信用したわけです。

こうして鉱山は再開し、仕事がない労働者は喜んで働きはじめました。

労働者の給料のうち、3分の2がヴェーラで、3分の1がライヒスマルクで支払われました。
しかし、町の商店はそれを受け入れません。そこで経営者は従業員用の店を設け、日常生活の必要品を仕入れてヴェーラで売ることにしました。

それで事情は一変しました。

数ある商店の客が殺到したのです。こうしてヴェーラは流通し始めました。ゲゼルの支持者たちは、ヴェーラを知らない客がいる前でヴェーラを使って買い物をして見せます。客はヴェーラに関心を示します。

少しするとヴェーラの発行団体に、ヴェーラに冷淡だった商店の人間たちが大挙して押しかけわれわれにもヴェーラを扱わせてくれ、どうしたらいいんだ、といってきました。

そうして奇跡が起きたのです。

ドイツ中のゲゼル理論に同情的だった数千の小売店もヴェーラを受け入れます。多くの企業もヴェーラを受け入れ、周辺の町も関心を示すようになりました。不況で苦しむドイツでは当然話題になり、ニュースが全国に流れました。それがまた、ヴェーラの拡大に寄与しました。