マネーの正体―地域通貨は冒険する」デイヴィッド・ボイル(著)より

急成長を遂げつつあったデリは、店舗の拡張を必要としていた。

しかも、オーナーのフランク・トルトリエロの妻は病床にあった。
メインストリートの向こう側にあるもっと広い場所に移転する費用として4500ドル必要だったのに、銀行からは融資を断られていた。

最後の望みは、ポブ・スワン、スーザン・ウィット
そしてさらに増えたSHARE(注1)のメンバーだった。

「こうなったら、自分で紙幣でも刷るしかないよ」と
絶望したフランクはスーザンに漏らした。
「そうよ、おやりなさいよ」と、スーザンは答えた。

デリには、かなりの数の常連客がいたし、10年ほど前に、オレゴンのズーズーというレストランが1万ドルの資金を調達したことがスーザンの記憶にあったのだ。

そして、デリはやってみた。
ヨーロッパでベルリンの壁が崩れようとしていた1989年10月、フランクは自家製のお金を発行し始めたのである。
デリ・ダラーの誕生だ。

1枚8ドルで売られたデリ・ダラーは、1年間有効で10ドル分の食品と引き換えることができた。デザインを担当した地元の画家マーサ・ショーは、フランクとデリのウェイトレス全員の姿を紙幣に描き込んだ。30日で全てが売り切れ、5000ドルの資金が集まった。

「10ドル分を10ドルで売るほうがいい」と、スーザンは忠告したそうだ。
ところが、『それじゃ、こっちに有利すぎるよ』ってフランクは言い張って、10ドル分を8ドルで売っちゃったのよ。ずるいことが嫌な性分の人だからね。

SHARE(注1)の役割も小さくないのよ。
非営利組織として、この件で何度か地元の新聞で取り上げられたから。
フランクだけじゃなくて、他の店や会社だって同じことができるって伝えることができたのよ。

見方を変えれば、フランクの顧客が借金の保証人になったようなものだ、それも自発的に。

なぜだろうか?

お客たちは、世の中のシステムに対抗しようとするフランクの助けになりたいと思ったのだ。そして、フランクはサンドイッチでお客に借りを返したのである。

こうして、錬金術が始まった。
デリ・ダラーが、本物のお金のような振る舞いを始めたのだ。

親たちは、学校に行く子供に昼食代としてデリ・ダラーを手渡した。
地元の経営者は、クリスマスプレゼントとして従業員にデリ・ダラーを配った。
牧師がデリで食事するのを知っていた地元住民は、日曜の礼拝後、献金箱にデリ・ダラーを入れるようになった。ビジネス誌『アントレプレナー』の表紙に、デリ店内にある掲示板の写真が掲載されたこともある。

「コールスロー3つで75セント。デリ・ダラーについてはカウンターでお尋ねください」。

テレビ局の取材班が乗り込んできて、フランクヘの融資を断った銀行を取材したおかげで、銀行側はデリの改革について説明する羽目に陥り、銀行の人間もデリ・ダラーを個人的に使っていることを認めざるを得なくなった。

「コーンビーフ・サンドイッチでローンの返済はできませんが、あのやり方なら、わたし個人に対しては借金返済できますね」 と、ある銀行家は答えている。

(注1) SHAREは、普通の起業家が銀行ローンを借りやすくなるよう支援する、地域経済のための自助協会のこと