エコマネーの新世紀」 加藤敏春 (著) より

 

古代エジプトにおいては

農民が収穫した小麦を預托すると預托した「量」と「日付」が刻印された陶器片を受領し、その陶器片を貨幣として使用することができた。

しかし、6ヵ月後、10個の陶器片を返却しても、9個の分の小麦しか受け取ることしかできないという仕組みであった。

1個分の小麦は保管に要した経費として徴収されたのである。

貨幣として機能した陶器片は、マイナスの利子率を有していたことになる。

この結果何か起こったであろうか? 

農民たちはこの陶器片を手元に持っていても減価していくのであるから、それを貯めこむのではなく農地と灌概システムヘと投資したのである。

こうしてマイナスの利子率を有していた陶器片のシステムは、農業の拡大再生産を生み出すという効果を持った。 このシステムは千年以上続いたが、エジプトがローマ人に征服されたときにローマ人によって放棄された。

 

中世ヨーロッパにおいては

これと同様なことが中世ヨーロッパで起こった。

中世ヨーロッパにおいては、西暦1150年頃から1300年碩に至るまで、封建領主は「銀のプレート」を発行しそれが貨幣として流通したが、6ヶ月から8ケ月の頻度でその銀のブレートは回収され、1ヶ月当たり、2~3%が税として微収された後、再発行された。

銀のブレートはマイナスの利子率を有していたのである。

この結果、中世の農民たちはエジプトの農民たちと同様に、銀のプレートを貯めこむのではなく、農地の改艮、装飾用の壁掛け、絵画、そして教会の伽藍の建設に投資した。

当時は、各都市こぞって立派な教会の伽藍を建設するために競い合ったが、これは立派な伽藍により、より多くの巡礼者(今で言う観光客)を引きつけようとしたものである。

この教会の伽藍への投資がマイナスの利子率を有していた銀のプレートのシステムにより促進されたのである。

中世ヨーロッパの文化がこうしたシステムにより支えられていたことについては、留意が必要であろう。

そもそも三大宗教といわれるイスラム教、仏教、キリスト教においては、利子をとることは禁止されていた。

カトリック教がこの教えを忘れ、土地保有者であった教会が自らも資産家となっていったのはきわめて新しく、19世紀末のことである。

古代エジプトと中世ヨーロッパのマイナスの利子を有していた貨幣の例をみると、社会の富をより長期的なプロジェクトに差し向け持続可能な社会を構築するためには、マイナスの利子がつくように貨幣システムを設計することが大きな効果を有することがわかる。