地域通貨 (福祉+α)」西部 忠(著)より

 

第2の事例は、ブラジルの近代的都市環境において30年間にわたり継続してきたものである。

1971年にジャイメ・レルネルが、ブラジルの南東に位置するパラナ州の州都クリチバの市長になった。彼の職業は建築家であった。

この地域にまったく典型的なことなのだが、ジャイメが市長になったとき郊外の人口が1942年の12万人から100万人を超えるまでに急成長していた。

1997年には、人口は230万人に達していた。さらに非常に特徴的なことは、大多数の人びとが段ボールやトタンで造られたスラム「ファヴェーラ」に住んでいた。ジャイメ・レルネルの大きな悩みの種の一つはゴミであった。

町のゴミ回収トラツクは十分な道幅がないためファヴェーラの中に入ることさえできなかった。その結果、ゴミは積み重ねられるだけで、ネズミなどがその中に潜り込んでしまい、あらゆる種類の病気が発生した。山ができるほどのゴミの散乱だったのだ。

この区画をブルドーザーでならして通りを造るという「通常の」解決をするためのお金がなかったので、レルネルのチームは別の方法を考案した。

大きな金属製のゴミ箱がファヴェーラの端にある通りに置かれた。このゴミ箱には、分別収集用にガラス、紙、プラスチック、生物分解性物質などの大きなラベルが貼ってあった。事前に分別されたゴミを詰め込んだゴミ袋を持って来た人は誰でもバスのトークンをもらえた。

学校が母体となったゴミ収集プログラムもまた、貧しい学生にノートを提供した。すぐに、その地域は、異なるタイプのプラスチックでさえ区別することをすぐに覚えた何万もの子どもたちによってきれいに片づけられた。親たちは仕事があるビジネス街までのバスに乗るため、そのトークンを使った。

私の見方では、ジャイメ・レルネルはクリチバ貨幣を発明したのだ。バスのトークンは、補完的地域通貨の一種である。彼の考えた「ゴミはゴミではない」プログラムには、「ゴミはお金である」という洗礼名も付けることができたであろう。

今日、クリチバの全家庭の70パーセントがこのプログラムに参加している。62の貧困地域だけで1万1000トンのゴミが約100万のバストークンと1200トンの食べ物と交換された。過去2年問で、100以上の学校で200トンのゴミが190万冊のノートと交換された。紙の再生部門だけで1日あたり木1200本相当が節約されている。

ゴミと公衆衛生問題としてはじまったことが公共交通や失業問題を前例のない革新的な方法で解決する方法となった。その秘密は、市あるいは住民が特別であるということではなく身近な問題に取り組むために統合されたシステムアプローチで補完通貨を使ったということにある。

このような補完通貨システムの影響を、従来の経済用語を使って表現することも可能だ。

平均的なクリチバの人びとは国の最低賃金の約3.3倍を稼ぐが総実質所得は少なくともそれより30パーセント高い、すなわち(最低賃金の約5倍)。この30パーセントの違いは、ゴミと交換に食べ物を獲得できるシステムにおけるような非伝統的な貨幣形態により直接生み出された所得によるものである。

クリチバには間違いなくブラジルで最も発展した社会プログラムがありこの国の最も活気に満ちた文化プログラムや教育プログラムがある。しかし、その税率は決してブラジルのそれ以外の場所と比較しても高くはない。

マクロ経済レベルでも、クリチバで何か普通ではないことが起こりつつあることの明らかな兆侯がある。

クリチバの域内生産は1975年から1995年の間でパラナ州全体より約75パーセント、ブラジル全体よりも48パーセント大きく増加した。

そのような成長率の違いは、近年においても継続している。1993年から1995年の間、クリチバの域内生産はパラナ州よりも41パーセントブラジル全体よりも70パーセント急速に成長している。

クリチバは、実践的な事例研究であり、そこでの30年の経験によって以下のことが示された。

すなわち、従来の国家通貨とうまくデザインされた補完的地域通貨の双方を使うことが国家通貨建ての伝統的な経済にばかり目を奪われてきた人びとを含む、すべての人にとって有益である。

それにより、第三世界の一都市が一代という時間で第一世界の生活水準に追いつくことが可能になった。クリチバは国連から「世界で最もエコロジカルな都市」という称号を贈られた。

ベルナルド・リエター (カルフォルニア大学バークレー校サスティナブル資源センターのリサーチフェロー)