地域通貨 (福祉+α)」西部 忠(著)より

 

ロシア連邦の東シベリア経済区域のなかで、その南西部にハカシア共和国がある。そこには、主としてミヌシンスク盆地に生きてきたチュルク語系のハカス人が少なからず住んでいる。

この共和国で、興昧深い地域通貨がかなり広く流通して、経済危機の克服に貢献した時期がある。1990年代半ばのことだ。

ハカシア人の生業は、歴史的には牧畜中心の農業とされている。とはいえ、ロシア人人口が過半を占めるにいたった20世紀後半には、工業中心の経済活動が主軸になっている。
巨大規模のダム式水力発電、アルミニウム精錬、モリブデン鉱霧天掘りなどがそれである。

そのように豊かなハカシア共和国であるが、1996年から1997年にかけて、危機が訪れた。

共和国は、約22万5000人の企業年金受給資格者に対して、総額5000万ルーブルの年金を支払うことになっていた。ところが、順調にモノやサービスを生産した結果として、帳簿上は課税対象所得を十分に産み出している工場や企業に対して、顧客からのルーブルでの入金がほとんどない、という状況が生まれた。

上記の年金支給がなかったからである。それらの工場や企業は、入金があればそれで納期できるにもかかわらず、取り立てたルーブルが顧客から人ってこないので、納税ができなくなった。

そういう場含、従来ならばロシア連邦政府が、共和国に対して年金支払いができるだけの緊急融資をするのであるが、1996年にはそうする余裕が違邦政府にはなかった。

このためハカシア政府の年金補助金局は、一時しのぎの手段として次のようなクーポンを発行した。

これは、十分な課税対象所得を産み出している工場や企業と、所定金額の支払いを要求する年金生活者の間の貸借関係を清算するための代理的支払い手段であり、「清算クーポン」と呼ばれた。

ただし、発行の実態としては一種の約束手形である。

非常時の措置としてであれば、そのようなクーポン券の発行は、どの国、どの時代にもありうる措置だが、後日になってこれが大いに注冒されることになるのは、この「清算クーポン」が、わずかの数字が印字されただけのただの紙切れ、といつた体裁のものではなしに、きちんとした紙幣の形をしていたことである。

カタノフという人物の肖像が表面に印刷されており、「カタノフカ清算クーポン」と名づけられたが、人びとは、これを単にカタノフキと呼ぶようになった。

(略)

このクーポン券について具体的にいうと、1996年11月、5000(旧)ルーブル相当の100万カタノフキが発行された。これは、ハカシア共和国政府が、年金受給資格者に負う金額の十分の一に相当するものであった。

その結果は、誰もが予想していなかったほど驚くべきことがおこった。

1996年11月末から翌1997年6月初めまでのたった半年聞に、政府の年金負債一年分の40パーセントが消滅したのである。

(略)

カタノフキの流通の度合いが最も顕著なのが共和国の首都アバカンの場合であった。カタノフキは、そこでは年金受給者だけでなく、それ以外の市民の間にも流通するようになった。98年9月には、早くも若い労働者がカタノフキで買い物をしようとしはじめた。

鉄道車両製造企業をはじめとする多くの大企業がキヨスクのチェーン店など小売店を開設し
種々の消費財の販売をはじめた。そこでの消費財とは主として食料品であったが、そうした企業がどこでそれらを調達したのかといえば、物々交換などによって得られたものであった。

カタノフキは、先述したように、本来ならば、毎日、銀行に預けられるべきなのだが、そこに預けるまでもなく、ルーブルに並ぶ通貨として市内に流通するようになったのである。

他方、地方都市などではさほどではなく、同じ商品の購入にカタノフキを用いるとルーブル価格の数十パーセント割高になる、といいったケースが多かったようである。

カタノフキの有効性については、かなり地域差があったらしいが、これがルーブル危機を前後するハカシア共和国の経済危機を救ううえで、かなり大きな役割を果たしたことは間違いないようである。

室田 武 (同志社大学大学院経済学研究科教授)